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森田富美子 (著),森田京子 (著)
ISBN 978-4-06-538830-3
四六判 224ページ
発行 講談社 2025年6月
「実は先生にお願いがあります。私は原爆で両親と弟3人を亡くしました。みんなの分も生きないといけません。これから先、2度とあんな戦争が起きないように、核兵器がなくなるように声をあげていこうと思っています。私を長生きさせて下さい。みんなに会った時、平和になったよ、そう言えるよう頑張りたいんです」
長崎で生まれ育った「わたくし」。79歳のとき家出して東京にきて、90歳で持ったiPadが人生を変えた。20歳の女性の反戦デモの投稿で反省した。
「私たち戦争体験者が、言わなくてはならない」と。
戦後戦争体験記、被爆体験機とは一線を画した、96歳がいま伝えたいこと。
絶対言い続ける。#戦争反対。サンキュー、グッナイ。
著者プロフィール
森田 富美子 (モリタ フミコ) (著)
1929年、長崎生まれ。1945年8月9日には爆心地から離れた工場で被爆。戦後は、結婚後は家業の経営に加わり、化粧品販売に携わっていた。2007年、東京に暮らしてヘアメイクの仕事をする長女・京子のところに家出。スマホは2012年から持っており、YouTubeやネットニュースを見てモヤモヤすることが多くあったが、コロナ禍を機にiPadを手に入れ、Twitterにポストするように。安倍元首相が長崎の平和記念式典にて広島とまったく同じ文章を読み上げたことに怒り、自身の長崎での体験をポスト。黒焦げになった両親と3人の弟を見つけるまでと火葬した時の体験を綴った投稿が話題を呼び、フォロワーが8万人に。毎日新聞のYouTubeと記事も大きな話題となった。ウクライナ戦争のとき、20歳の女性が反戦デモに参加したという投稿を読み、「自分がもっと声をあげねば」と反省した。ドジャースも大好きで選挙のこともポストしている。
森田 京子 (モリタ キョウコ) (著)
長崎生まれ。4人きょうだいの上から二番目。森田家は家族で商店を経営、富美子が化粧品販売とエステ事業をやっていたのを京子も手伝っていた。東京で独立すると上京を決断した時、家族の大反対に合う中で母・富美子だけが「あなたならできる」と背中を押してくれた。ヘアメイクとしてテレビと広告などの仕事を行っており、本書で富美子の語りと自らの視点の2つの視点で軽快な文章を紡いでいる。
※データは刊行時のもの